墓荒らし

※やや衝撃的な画像を含みます。苦手な方は読まないでください

僕が大学生の頃、卒業間近の3月に飼っていた猫を2週間ほど実家で預かってもらった。僕はその頃東北に住んでいて資格試験があって試験の合格を確認してから1日で就職先付近のアパートを探さなくちゃいけなくて、要はとても忙しかった。卒業旅行なんて行けるはずもなかった


4月に入ってすぐ、仕事の合間に猫の様子はどうかと実家に電話した。母親は言い出しにくそうに「猫は1週間前に死んだ。もう埋めた」と僕に伝えた。まだ4歳だった猫が死んでしまったこともショックだったが、死んだことを知らせず既に土に埋めてしまったことも僕には信じられなかった。

親からすれば急な不幸を知らせて僕がパニックになること(急に実家に車で向かって事故を起こしたり)を恐れてそんな手段を選んだ様だが、聞いたときには結局パニックになった。「そうか、死んで1週間経ったからどうにもならないね、仕方ないね」とは絶対ならない。仕事を放り出して高速をぶっ飛ばして実家に戻った

当時実家に帰った僕は、墓を掘り起こそうかかなり迷った。でも心のなかでは元気な綺麗な姿なのに、7日土の中で過ごした彼は絶対に腐敗が進んでいるはずで、その姿を直視できるかといえばやはり出来なかった

死んでしまうのは仕方の無いことだ。急に死んでも親の責任ではない。でも亡骸に会わせてくれなかったのは20年経った今でも恨んでいる。実の親でも時間は解決してくれなかった。心のどこかで「こいつは僕の子供の最後に会わせてくれず勝手に埋めた畜生だ」とどこかで思う自分がいる



最近、歴代猫たちの火葬した骨を粉にしてもらった。骨壷が増えてきて場所を取るし見栄えも良くない。骨壷はこれからも増え続ける予定だから、先代たちには少し小さくなってもらってもバチは当たるまい。骨壷からガラス瓶に彼らの居場所は移る。その先、何か記念樹でも植えたら木の根元で土と混じり木の栄養になってもらうつもりだ

今飼っている3歳のメインクーンが最近甘えるのがうまくなった。3年掛けて少しずつ死に目に会えなかった初代メインクーンに近づいている。見た目は全く似てないのだが、仕草でふと昔の記憶が蘇ったりする



翌日が休みの夜、久しぶりに実家に顔を出そうかと思った。1年近く帰っていないし近況報告しなくてはいけないこともある。

先代たちの骨を粉にしていたこともあって、実家の庭に埋められているであろう猫を思い出した。ちょうど20年経ったのか。そういえば死んだのも3月下旬だったな。墓(といっても広大な敷地に何の特徴もない石が置いてあるだけである)にも線香をあげようと思った瞬間「墓を掘り起こそう」と頭に浮かんだ

何故その様な考えが頭に浮かんだのかわからないけれど、それはとても合理的で理にかなった事のように感じた。墓を掘り起こすことが不謹慎であっても

彼の骨を見ても今の僕は悲しまないし、現世に残っている彼の一部に会いたいと思った。もう彼の魂は消滅してしまい、骨と相対したってそこには何も生まれない。でも、僕はまだ彼と本当のお別れをしていない。骨を見つけてその骨に声をかけるのは一つの区切りをつけるために必要だと思った。そして時を置かずに実行するべきだろうという気もした。

でも酔っ払っているから朝になったらそんな気持ちも吹き飛んでいるような気もした。何一つ生産しない虚無な事をしようとしているのかも知れない


翌日酒が抜けた状態で昨日のことを思い返しても、やはり墓を掘り起こすことの必要性は変わらなかった。自分でも半ば呆れながら「そうか、やはりやるのか」と原付に乗って実家へ向かう。20年目という節目、彼が死んだ正確な日を僕は知らないが、もしかしたら今日が命日なのかもしれない。彼に呼ばれているのかも

朝の赤城山からの吹きさらしの風がとても寒く1時間の運転がとても辛かった


実家に着き、近況報告を済ます。そして時間を置かず「猫の墓は分かる?」と尋ねる。20年前の庭とは景色が違う。僕にはもう分からない

田舎の家の庭はちょっとした公園くらい広いのだ
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都会の人には信じてもらえないかもしれないが、湧水が湧きサワガニが住み着いている

昔、畑のあった場所は植物園のようになっている
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墓に向かいながら「今日は猫の骨を引き上げに来た」と母親に話す。この前忘れたハンカチを取りに来たんだ、程度のさり気なさを装いつつ。母親は特に反対しない

この石が墓標だそうだ
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墓には見えない。信用していないが手がかりは他にない

10分ほど掘ると布が出てきた。
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確認すると布に包んで埋めたらしい
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やっと会えたね
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小さい骨はグズグズと崩れるが、大きな骨は原型を留めている
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歯も綺麗


大きな感情は沸かない。作業のようにできるだけ骨を集める。
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霊園に持っていったら火葬してもらえるだろうか思案する
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記念に大きな骨の写真を撮る
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ん?朽ち果てた犬の首輪…
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まじまじと頭骨を見てみると、猫ではなく犬だった
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両親を呼んで、3人で会議をする

ここには猫の他に歴代の犬も埋葬されている。あの犬でもない、この犬でもない、と結論が出るまでに20分ほどかかったが、どうやら35年前に亡くなった柴犬のようだった。ごめんね、僕の知らない柴犬

70近い父親も借り出し、周囲の土を掘り返す
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もう墓荒らしそのもの。コメディーかよとか言いつつ3人で墓を荒らす

結局目的の骨は見つからなかった。体力の限界だ

自分で掘り起こして彼と対面するはずだった。20年ぶりの再会は僕の手で開くつもりだった

父「後で掘っておくよ」
僕は力なく頷き、自宅に帰った



コメント

  1. ジャン より:
    いやぁ、とむこさんの勇気に圧倒されました。
    私は飼えないのです。飼ってる動物っていつか死ぬから、立ち会う勇気が無いというか。
    「いいい記事でした」とは軽々に言えませんが、強い記事だと思いました。
    ジャン実家の敷地内にも半ネコが数匹眠っています。「化けて出て来い」と本気で思っていますが、夢にすら出てこないのです。
    お庭が広いですねぇ。
  2. とむこ より:
    >>1
    強い記事だなんて言われると照れてしまいます。人生の折り返し地点を過ぎてから、やり残した物事に真面目に向き合っていかないと後悔するなと切実に思っています。

    飼っている動物が死ぬのって本当に辛いです。でもその辛さを100とすると飼っている時の喜びは10000とか1000000なので、死んだ時の辛さに囚われないようにするのが肝要です。所詮人は人でしか無いし、猫は猫でしかありません。猫が人よりも寿命が長かったらそれはそれで問題がありますし
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