文章が気に入らなくて何度か書き直しているうちに、心の奥底に僧への憎しみに似た怒りが明々と燃えていることを認識した。彼らに特別嫌な思いをさせられた過去はないのだが、良い印象を持っていない。そこへ今回の出来事があったから、余計に憎悪の塊のような文章になってしまった
ある旅館の浴槽で煙草のフィルターが捨てられていた。お猿さんで有名な温泉地で、僕らの他には坊さん二人組が泊まっているだけだった。つまり、坊さんが旅館でタバコを吸いながら風呂に入っていた
僕は宗教というものを信じてないし彼らが聖職者だとも思っていないから、我々と同じように俗物な生活してもらって構わないけど、流石に俗物以下の行為を眼にすると「地獄に落ちろ」と念仏を唱えざるを得ない
でも、宗教を信じて日々の生活が安らかになる人がいるのなら、世の中に必要なのだろう。必要とする人がいてそれを与える人がいる。僕の口をはさむ権利はない。世の中は何事も需要と供給で成り立っている。僕の知らないところで勝手にやってくれている限り、興味すら沸かない。
じゃあ、なぜこんな文章を書くほど怒れるのか?
僕からは関わりたくないのに、僕には需要が無いのに、冠婚葬祭の「葬」に奴らから関わってくるからだ。そして「葬」を食い扶持にしている僧は、「僧」という職業を演じているだけで僕と同様に仏教なんて信じてやいない。嘘くさいお経を唱えて、戒名に値段をつけて、お布施という名の法外なお金を奪っていく。そして労せず儲けたお布施でタバコを買って旅館の浴槽でタバコを吸っている。そんな奴らを敬ったりできるか?
僧なんだから一切の娯楽を捨てて霞を食って生きろって言ってるんじゃない。職業には職業なりに求められる姿がある。檀家に行く時だけ原付に乗って清貧を演じて騙されるほど我々は馬鹿じゃない。
蔑まれたくなければ、他人の浴槽でタバコなんか吸うな!それが僧のあるべき姿か!
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