教習所

大学受験がすんなり終わり大学入学まで暇だったので親が教習所に入れてくれた。

僕は特に免許が欲しいとか思わなかったのだけど、群馬県民は皆運転免許を持つもの、という親の視点に従った(群馬では車を運転できないと生活できない)。当時解禁されたばかりのオートマ限定のコースを選んだ。今ではオートマ限定免許は珍しいものではなくなったが、30年前にオートマ限定を選ぶというのは大人になっても補助輪を付けたまま自転車に乗る人と同程度に扱われた。でも僕にはマニュアルシフトの良さが理解できなかったし、母親が初心者の時にシフトチェンジの事でよく夫婦喧嘩をしてた記憶も影響してオートマ限定免許を選んだ。

教習所に父親の知り合いがいるからという理由で割と遠い教習所に通ったのだが、僕から見れば知り合いの教官はただのチンピラだった。客である僕に対して一度も敬語を使わず、一つも丁寧な指導をせず、ただただ運転の仕方を知らない僕を責めた。そこには教育的愛は無かった。教養のない猿が立場を利用して吠えるのを怯えて聞くのを我慢することがハンコを貰う対価だった。高校生までは勉強し正解を得ることが唯一の道だったが、これから先はそれ以外の方法も会得しないと生きてはいけないというのを教えてもらった。

只、今思えば父親の知り合いは特に僕に対して優遇はしていなかったような気がする。彼が暇な時に急に呼び出して教習を受ける事は予約の取りづらかった当時を思えば優遇なのかもしれないが、大学受験が終わって伸び伸びしている時にチーマーから呼び出されるような不幸を感じた

大学入学までには物理的に日数が足りないので卒業できず、大学近くの自動車学校に編入した。教習所には嫌な記憶しかないので、放置して過ごした。自動車に乗るより女の子に乗ることばかり考えていた。もちろんそっちの方が楽しい。しかし8月になると教習所から催促の電話が鳴り響く。どうやら教育プログラムが変更になるらしく、何時までに卒業しないと救急講習やら高速教習やら学ぶものが増えて追加料金が必要になるらしい。

「邪魔だからとっとと卒業しろ」というプレッシャーを感じながら講習を受ける。編入先の教習所の教官は父親の知り合いに比べればマシだったが、講習の終わりに「こんな運転じゃ卒業検定は受からない。運転を舐めるな(でもハンコはくれた)」と吐き捨てられりやはり碌な人がいなかった。なぜ僕を教える教官は指導というものをしないのだろう?その場その場で間違ったことを教えてくれれば良いのに

時代は進み、免許を取得する若者が減り、教官はとても優しくなったと聞く。教官を選べたりウェブで予約できるだけでもすごい進歩だと思う。

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