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10/09 クラムボン JP JumP JaPan tour 2019

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ファーストアルバム再現ライブを聞きに行く。20年前の大学卒業後、初めての職場の仙台市でクラムボンを知りこのアルバムも良く聞いていた。彼らのキャリアのスタートと僕の社会人のスタートが同時期だったから、他のアーティストにはない親近感を持っている。同い年だしね

当時、街を歩いている時にライブの広告を見かけたことがあった。行ってみたいなと思ったが、ライブハウスがどういうものか知らなくて怖くて行く勇気がなかった。

あの時から20年経った。当時の「行ってみたいな」という小さな希望を20年ぶりに叶えることができる。長い時間を掛けての回収だが、こういう時に「長生きしてみるものだな」と思う。クラムボンのライブは去年・一昨年にも行っているが、初期の曲は定番を除いて演奏はしてないようだ。だから今日のライブは僕にはとても貴重な機会だった


数年ぶりに電車で都会に出る。6年ぶり位だろうか?とmこはクラムボンのファンではないが、保護者として付き添ってくれている。電車の窓から見える都会は本当に大きくて明るい。そして一つも魅力を感じない。電車が混む(といっても乗車率は70%程度)と他人との距離が近くなって息苦しく感じる。電車通勤を強いられる仕事を選ばなかった若い頃の自分に感謝する。


チケットの番号はあまりよいものではなかったが、開場に合わせて来ている観客は少なく3列目に陣取った。ドラムが目の前。調整のためスタッフがドラムを叩くと、音と振動が直に体に響く。悪くない。リキッドルームでは中央よりも外周の1段高い場所の方が人気のようだった。1000人キャパのライブハウスなら後方でも演者が小さくなってしまうことはないし、音も後ろのほうが良いのだろう。演奏を見るなら前、曲を聞くなら後ろ


開演10分前には会場もほぼ埋まり、時々割り込んでくる人も散見された。単純に前に行きたい人、待ち合わせで知り合いの隣に来る人、色んな人がいるが誰も怒らず半歩ずつ空間を譲る。割り込む人は人の前を通る時には「すいません」と声を掛けるが、居座る時には周りに「すいません」とは言わない。そんな訳でホビットとmこの空間は取られてしまい、人の隙間から演奏を見られるはずが叶わなくなった。

とむこは他の人より背が高いのでどこにいても全てが見渡せる。でもこれはこれで周りからすれば「邪魔なやつが前にいる」と思われているだろうから居心地は良くない。僕の真後ろの人は何も見えなくなってしまうが、譲ってその人の後ろに立てばその人の後ろの人が見えなくなる。じゃあ…と永遠に譲っていくと、結局自分の居場所は最後尾になる。だから思考停止する。背が高いことは良いばかりではない。僕の前の人の頭頂部が僕の顎付近にあって汗臭い頭皮のニオイをライブ中ずっと嗅ぎ続けなければならなかったりもする



20年前のアルバムを開始する前に言い訳のようなMCが入る。「憑依する」という言葉を使っていたが、曲を演奏すると当時の色々を思い出して大変だったようだ。20代の多感な記憶を40代で思い出すのは必ずしも楽しくない。それはよく分かる。単に苦しいとか大変だとかを思い出すのでなく、若くて未熟な自分を大人の心で見返すのはとても恥ずかしい

演奏を聞いて同じような体験をするかもしれない、と忠告のようなものもあった。それはチケットを予約したときからずっと懸念していた


でも、残念ながら、どの曲を聴いても当時の苦い記憶が心に広がることはなかった。JPを聞き始めた頃が心も体も一番しんどかったはずなのに、その時の記憶が心の底から這い出すことはなかった



理由は3つある

一つは純粋にライブを楽しんでしまったから。「タイムリミット」も「風を引いたひょうしに」もずっとライブで聞きたかったから聞くことを楽しんだ。過去に向き合う暇はない

一つは郁子さんの声が当時と違うから。自宅に帰ってからCDを聞き返すと、当時の心のざわつきというものがほんの少し感じられる。僕の記憶のトリガーは曲そのものではなくボーカルの声が重要みたいだ。CDから聞こえてくる声はライブで聴いた声よりも舌っ足らずで柔らかくてベタつくような甘さがある。若い時しか出せない声音というものがある。ライブの声は…当時の二周り強かった。強くはっきりと胸に響く。好きとか嫌いとかではなく、僕の記憶の鍵は「当時の音そのもの」じゃないと機能しないようだった

一つはJPというアルバムが身近であり続けたから。購入してから飽きるまで聴いてから放置された音楽は、久しぶりに聞くと完全に忘れ去っていたあれこれを勝手に再生し始めて音楽を聞いているのか過去を見つめているのかわからなくなってしまう時があるが、年に数回でもコンスタントに再生しているといろんな記憶で上書きされてしまうのか、もしくは鍵が馬鹿になってしまうのか、衝撃を受けることが無くなってしまう。好きな音楽を聞くたびにしんどくなってしまったら心も大変なのだろう。


45分間「何も思い出さないもんだな」と感じながら音楽を見た。みんな20年歳をとったんだな(僕も含めて観客も高齢化を迎えている)とか、JPの前に演奏したprosit!に比べると大介さんのドラムは密度が薄いなとか、大介さんは全然汗かかないんだなとか、大介さんは全然目線を会場に向けないんだなとか、そんなことを考えながら聴いていた。ライブの感想としては最低だね。でも昔のアレコレを思い出して走り回りたくなる気分で聞くよりもずっと素直に演奏を体に染み込ませることができたと思う。

最後のGLAMMBONで僕はポカーンとしてしまったが、社長のソロを見ながら子供のように笑っている3人が楽しそうでそれが一番良かったな。良い演奏よりも良い笑顔をみることができて良かった。

なんとなく3人の寸評

ikuko
20年前も今も良いです

mito
昔からいけ好かない印象が拭えなかった。ステンレスでできた金平糖みたいに見えていた。が、彼はとても可愛いのね。歳を得て可愛くなったのかな?一番可愛いかった

daisuke
年を取らずに若返っている。人前に出る仕事なのに20年経っても慣れないのかしら?お辞儀が丁寧すぎて焼香の時のお辞儀にも見える。大人しくて穏やかな雰囲気なのに、彼の出す音は強く激しい。社長のソロ演奏の時に我慢できずに数回吹き出していた
けど、我慢しないでもっと笑ってね




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