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息抜き

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月一の旅館宿泊が自分にとっての気分転嫁というか息抜きになっている。一か月が4週あるとすれば残り3週の休みは出掛けない。コロナ禍以前は月2で宿泊して他の2回は家事に充てて、余裕があれば外食に出掛けた。非常に散財し非常に良い生活だったがコロナウイルスが流行し子供が生まれ月一の宿泊だけが残った。

外出をしなくなった。子供にマスクはさせられない。ノーガードの状態で保菌したじじいやばばあが無遠慮に話し掛けてきて子供にうつされたら我が家は全滅してしまう。先日旅館の御主人に子供が生まれて生活が一変したでしょと言われたが、コロナウイルスの方が生活に大きな影響を与えている。子供が生まれたら(手が掛かるので)5歳くらいまで旅館には行けないかなと思ったりしたが、結局そこは削れなかった。子供がいることで個室を利用させてもらえる様になり、却って安心して宿泊できている位だ。

時流はコロナ無視に向かっているのでコロナ禍以前の生活に戻っている人も多いだろう。彼らはどんな方法で息抜きをしているのだろうか?

先日仕事で飲食店へ行った。店主に用があったので自分が食事することはなかったが、店は盛況で皆楽しそうに食事をしていた。黙食なんてもう過去の事のようだった。まるで異世界に迷い込んだのかと思った。これは飲食店で食事をしている人に対する批判ではなく、純粋にその光景に驚いたのだ。少なくともその空間にいる人たちはこの場でコロナウイルスに感染するとは考えていないようだった。その無防備さはすこし羨ましかった。自分が守っている感染対策が時代遅れなような気がした。

自分も3年前まで昼間に外食したり夜飲みに行ったりして少しずつ息抜きをしていたのを思い出しす。旅館で大きな息抜きをしなくても、少し外の世界に出て数日分のガスを抜いてやりくりしていたのだ。そんなことも忘れていた。でもあの頃は、そういった小さな息抜きが大切なものだとは考えていなかった

こういう文章を書いているが、今の自分に小さな息抜きが必要な訳ではない。日本の47歳男性の中で幸せランキング(そんなものがあればだが)上位にいると思っている。その根拠は致命的なストレスを抱えていないからという消極的理由であるが、中年になると振り切れないストレスを抱えてしまう人は結構多いと思う。順調な人生ではないけれど、今のところ悪くない。次の息抜きが3週間後なので、待ち遠しくてこんな文章を書いてしまうのだ。こういう時に小さな息抜きがあれば、もっと幸せなのになと思ったりする。でもな、まだ他人と同じ空間でマスクを外すのは怖くてできない。

一時飲食店がテイクアウトに力を入れていたが、あれは根付いたのだろうか?僕は結局一度も利用していない。美味しい料理を自宅で食べられれば外食の代わりになると思うのだが、テイクアウトの注文が前日までだったり数人分でないと注文できなかったりして手軽さを感じなかった。どちらかと言えば常連さん向けの営業であって一見には頼みにくい仕組みにしているようにも見えた。

なんだろうね、長い閉塞感に少し疲れているのかもしれないね。旅館に宿泊してもマウスの回し車の中にいるような気がする

 
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