とむこの悪口帳「別館」

レタス収穫

技能実習生という奴隷が足りないニュースを見て昔を思い出す

もう20年以上前の20歳の時、レタス農家の住み込みバイトをやったことがある。学生が夏休みを利用する出稼ぎアルバイト。レタスの入ったダンボールをトラックに積み込む・畑の雑草取りが主な仕事だった。寮を持つ大規模な農家もあれば、家族経営の農家もある。大規模農家の方が福利厚生はしっかりしているようだったが、陽キャの巣窟になっていそうなので避けて家族経営の農家を選んだ。

1ヶ月の予定が1週間で逃げ帰った

雇い主の農家に着くと母屋と庭があり、庭にはコンテナハウスが2つ置かれていた。工事現場でよく見る白くてドアと窓が一つずつある8畳程度のコンテナハウスだ。トイレも洗面もエアコンもない。そこを寮として充てがわれたのだが、40代の男性二人が既に「一つの」コンテナハウスを使っていた。これから3人で8畳を分け合うことになる。コンテナハウスに足を踏み入れると換気されていないムアっとした空気に包まれた。高原だからエアコンは必要無かったが虫の侵入を防ぐために換気できず、中年男性が放つ様々な臭気に包まれて夜を過ごすことになった。仕切りもなく同年代でもない男二人が同居人になるとは思っていなくて、初めから面食らった。

2つあるコンテナハウスのうち、もう一つは家長の弟が暮らしていた。母屋は田舎の農家にありがちな大きい建屋だったが、彼は母屋に入れてもらえないようだった。食事もコンテナハウスに運ばれて一人で食べていた。僕は到着直後に母屋に呼ばれ(歓迎を兼ねて)夕食を頂いたのだが、居心地が悪かったのを覚えている

コンテナハウスに移り、先輩に挨拶する。宮城出身の話好きなAとあまり話さない寡黙な人のBの2人だったが、とても良くしてくれた。殆どAの話す経歴を聞いているだけだったが、20歳の若者にとってはとても凄い武勇伝のように感じた。今彼らと同じ年になってみると、話の内容は各地を放浪して短期バイトを繰り返す碌でもない話だったのだが「あの橋は俺が作った」「〇〇は大変だった」と話されると彼の功績で橋が出来たようで感動したものである(勿論そんなすごい人がこんなコンテナハウスに暮らしているのか?という疑問は湧いたのだが)

翌朝5時から早速働くが、コンテナハウスで暮らす弟を家族総出で虐めるのを横目にレタスの運搬をしなくてはならなかった。彼は恐らく脳梗塞を起こしてして左半身がうまく使えなかったのだが、その見慣れたぎこちない動きを罵るのが日課でもあった。先輩Aによると彼は若い時に家を出たのだが、病気のために実家へ戻らざるを得なくなり(若い時に家を出たことが原因で)今のような扱いを受け入れざるを得ないとのことだった。特に兄である家長の「何でこんな簡単な事ができねえんだ!」「役立たずが!」などの罵声がBGMのように畑中に響くのだった。よく飽きもせずそんな事をずっと出来るものである

仕事はとてもきつかった。収穫直後のレタスは水分を大量に含みダンボールに詰めるとかなり重かった。足元の良くない畑で2時間ずっとダンボールを運んでいると筋肉が悲鳴を上げた

2日目の夕方、Aが家長にものすごい剣幕で怒鳴り声を上げていた。自分の弟なのに何であんなにひどい扱いをしているのか?酷すぎやしないか?と。30分以上怒鳴り合いが続き、翌日Aは農家を去っていった。その翌日、Bもいなくなった。働き始めて数日で先輩二人が去り、仕事量は増えた。陽キャを避けて小さい農家を選んだが、自分の周りに陽キャどころか一人もいなくなってしまった。携帯もネットも当時は無かった。

先輩2人が居なくなり仕事量が増えたのと仕事の筋肉痛の頂点に耐え、草むしりをサボりサボりやっていたら、虐められている弟が近づいてきて杖で畑を指しながら「サボるな」と命令してきた。何となく彼はこちら側の人間だと思っていたのだけど、それは思い違いだった。

 
仕事を始めて1週間、家長の息子に「こういう状況は良くないのではないか?少なくとも自分は罵声を聞きながら働きたくない」と申し出た。だが彼の返事は「あなたには関係ないことだから」の一言で終わった。ということで先輩に続き僕もこの農家から去った。そもそも若造一人の発言で古くから続く陰湿な風習が変わるとは思っていなかった。仕事を辞める為の口実で彼に申し入れただけなのだ。この手のアルバイトは出入りが激しいのだろう。特に引き止めも無かった。一週間働いたが、農家へ行ったガソリン代と高速代の方が高かったと思う。時給は安かったがコンテナハウスの使用量や食事代がしっかりと引かれていた。肉体労働の対価にしては肉などのタンパク質が極度に少ない食事だった

温泉旅館の行き帰りに群馬や長野のレタス・キャベツの生産拠点を通るが、肉体労働をしているのは見事に外国人ばかりである。ひと目で技能実習という名目で連れてこられたのが分かる。彼らは笑顔もなく働いている。もう20年以上前の話だが、僕が体験した待遇が大幅に向上したとは思えない。搾取の対象が日本人から文句を言えない外国人に変わり、同じことが繰り返されているのだろう。

 
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