とむこの悪口帳「別館」

これから

自分の考えを纏めるための文章

 
本館の方にも書きましたが、とmこさんは妊娠しました

僕らにとって子供が出来るというのは奇跡のようなもので、もちろん奇跡はめったに起こらないものなので、実際に奇跡が起きてしまうと歓喜よりも動揺が大きくて当日は寝られなかったです。

とはいっても望んでいない妊娠ではなく「ちょっと子供でも作ってみるか」ときちんと計画して子作りはしてました。とmこさんとお付き合いして10年弱、彼女も既に36歳で羊水はかなり腐っていて、タイムリミットが迫っている。今までは子供がいなくてもそれなりに楽しいし、二人で営んでいる小さいお店で働き手のとmこさんが妊娠するのは痛手だったので現状維持的に子供を作ろうとしてきませんでした。とmこさんは基本的に自分の意見を言わない人で子供が欲しいとか子供は要らないとか僕に言ったことはありません。僕は離婚歴も有るし、自分の手から離れてしまったけれど「一応」子供はいるので、新たに子供はいなくても良いだろうと思っていました。子供を連れ去られた時は自殺を考える程精神的に追い詰められたけれど、2年もすれば「まぁ子供いないのも楽だよね。自分の時間に使えるし」という境地に達してしまって、子供がいる家庭を新たに作るのも面倒な気持ちが大きかった。それに子供ができてから夫婦間のいざこざが(更に)増えたので、とmこさんに子供ができる事によって今の二人で適度な距離感で生きている環境が壊れて、また険悪な夫婦になる可能性も嫌だなぁと思ったりしていました。

でもそれは僕が勝手に生きた結果であって「前に失敗してるからリスクは避けたいんだよ」ととmこさんに僕の意見を押し付けるのは彼女の人生の可能性を捨てさせることになる。それはあまりにも彼女が可哀想ではないか。僕に出会わなければ既に彼女は2児の母になっていたかもしれない。そういう空想をするといたたまれなくなる

なので既にかなり遅れてしまったけれど「できるか分からないが試してみよう」とチャレンジをしました。そう決めての妊娠なので、本来であればとても喜ばしい出来事なのです。

じゃあ何故動揺するのかと言えば、僕の年齢が45歳であわよくば60歳位で引退して適当に暮らそうとか楽な人生を選ぼうとしていた矢先だったのでその計画が大きく狂うからです。いや、今の時代働ける間は働くべきだと思います。もはや年金も国も役に立たなくなってしまったのですから老後資金は出来るだけ多くないといけない。僕らの年代は恐らく70歳まで現役な状況なのだろうと思います。でも長く働くためにテナントを出て店を建てたくても土地が全然見つからない。そんな状況で45歳になると「じゃあ借金もないし今から大きな借金するより早期引退して実家に戻ろうか」的な考えが浮かんで来たのです。このまま貯蓄していけば借金するよりトータルでプラス的な。で引退してから実家の土地にこじんまりした家でも建てて暮せばよいかと。この案は結構甘くて魅力的で「あと15年で仕事から開放じゃん」と軽やかな気持ちで人生を諦めていました。

あと、僕ら二人とも「多分妊娠しないんじゃないか」という予想のもと子作りをしてました。まずとmこさんは重度の生理不順で婦人科の先生から「自然妊娠は難しい」と10年前に宣告されています。むか~しは薬を飲んだり基礎体温を測ったりしてましたが、それも10年前の話です。ずっと何もしていません。最後の生理がいつかも覚えていません。一方とむこも45歳で体も精子も御老体です。組み合わせは最悪ですよね。生理不順、劣化した精子、子作りはせいぜい月2回。記念受験のように「やっぱり駄目だったね」という結末を半ば予想していました。結果として子作りから4ヶ月で妊娠です。歓喜よりも動揺の気持ちが先に来てしまう心境を分かっていただけるでしょうか?

先程話しましたが、僕のお店はとmこさんと二人で経営しています。最低二人は必要な仕事なので、とmこさんが妊娠すると雇用問題というとても大変な問題が立ちはだかります。人を新たに雇うというのは本当に大変で、求人を出しても応募なんて直ぐには無いし応募があっても能力があるかは分からない。どの業界でも同じ問題を抱えていると思いますが人不足の問題もあって「働いてくれるだけでも有り難い」という雇用する側が選り好みが出来る状況ではない。一人応募してくれて「う~ん」と悩んだ時、違う人が応募するのを待つのは凄く勇気が要ります。でも一度雇ってしまうと簡単に解雇できないのもギャンブル。雇用主が雇用者に対してギャンブルなんて言葉を使うと不謹慎なのは分かりますが、でもやっぱりギャンブル要素が多い。思考回路が全く理解できない人、仕事を覚えようとしない人、指導するとただ萎縮してしまう人、本当に様々ですし、そういう問題が発覚するのは雇って時間が経ってから露呈することが多いです。

ではうちのお店はどうなってしまったのか?

実は1ヶ月前、お客さんの娘さんが僕らと同じ職業で仕事先に恵まれずに無職でいることを世間話で聞いていました。経緯を聞いていると本当に可哀想な境遇で、いじめとかブラック労働とかとても運が悪かった。専門的な勉強をしてきたのにその努力が報われず僕らの仕事に失望してしまうのは可哀想だし個人的に申し訳なかった。なので、正社員として雇う余裕は無いけれどアルバイトで働かないかと声を掛けたんです。少なくとも僕らの店は嫌な思いをしながら働くような環境ではないから仕事の楽しさを知ってほしかった。それに無職期間が少なくなるだけでも彼女の力になれるだろうと。

彼女は僕らの予想以上に能力があって滅多に出会えない優秀な人材でした。少し無理をしてでもすぐ正社員にしてしまおうか悩む程優秀でした。そして彼女がアルバイト2日目にしてとmこさんの妊娠が発覚しました。正社員になってほしいとお願いして了解をもらいました。

僕は人生の巡り合わせとか運命とかは一切信じない人なんですけれど、今回の幸運は誰かに感謝せざるをえませんでした。僕は友達も一人もいないし同窓会にも一切声が掛からないけれど人生の要所要所で助けてくれる人が現れます。そして僕を助けてくれるのは女性ばかりです。「雇用問題も考える前に解決してしまったし、後は死ぬまで働く覚悟を決めればなんとか生きていけるか」ととmこさんが妊娠発覚した翌日には熟睡できるようになりました。

 
旅行に関していえば、元々僕の目的は「逃避」です。旅行に頻繁に行くようになったのは元妻から離婚を宣告されて一人残された住居には出来る限り居たくなかったから。でも生活があるから本当の逃避はできない。緊急避難として一時的に旅館に逃げ込む、というのが僕の旅行の根本です。そう表現するとなんだかすごく歪な旅行ですね。実際そんな気持ちで旅行に行ってもひとつも楽しくなくて「なんで自分は真っ黒な心を抱えたまま温泉に入っているのだろう」とか思ったものです。でも暗い気持ちで楽しくもなく旅館に泊まっていても自宅でじっとしているより何十倍もマシだったと思います。何もしないで家にいるより「景色が綺麗」とか「お湯が気持ち良い」とか思う数秒だけでも心の逃避ができる。それを繰り返しているうちに楽しむ時間が増えて辛い時間は減っていく。

旅行が逃避であるならば、今の僕には逃避は必要ありません。いや、逃げる暇なんて無いだろうな。社員が増えれば売上も増やさければいけないし、足場をもっと固めなくてはいけない。

 
先を見越してこんな文章を書いていますが、まだ妊娠初期なので流産の可能性や胎児に問題が出てくるかもしれません。流産なんて軽々しく書くものではないですが、それは起こり得る現象です。そういうことがあるかもしれない、と可能性を常に考慮して生きていかねばならない。遠くを見ながら生きていると近くの小石に躓いて痛い思いをする。

これからどうなるのでしょうかね?旅行の頻度はあるいは少なくなるかもしれません

 
 
モバイルバージョンを終了